1月17日が来ると思い出す「母のレジリエンス」

26年前の1月17日、私は横浜に住んでいました。

当時、外国人に日本語を教える
「日本語教師」という仕事をしていて、

その日は某外資系企業で始業前の「早朝レッスン」があり、
急いで支度をして家を出ました。

レッスンが終わった後、銀座に向かいました。

別のところで早朝レッスンを終えた日本語教師仲間と
ランチの約束をしていたからです。

友達は私に会うなり
「なんだか関西で大きな地震があったみたい。
 ご実家に電話してみた方がいいんじゃない?」

と言うので

すぐ近くにあった公衆電話から兵庫県西宮市の実家に
電話をかけてみました。

その当時は、まだ携帯電話が普及していなかったんですよね。

すると(後から思えばとても幸いなことに)すぐに母が出ました。

「あぁ、かおりちゃん!
 冷蔵庫が倒れてビックリしたけど、怪我もしていないし、
 お父さんも今帰ってきたから大丈夫よ!」

といつもどおり元気いっぱいな母の声。

「なぁんだ、たいしたことなかったのか!?」
と思った私は、友達と楽しくランチタイムを過ごしました。

夕方帰宅し、何気なくテレビを点けた私は呆然!

そこには炎に包まれ煙の上がる神戸市長田区の街が
映し出されていました。

こんなにひどい地震だったとは・・・。

驚いた私はすぐに外に出て、公衆電話から実家に電話を架けました。

自宅の電話より、公衆電話の方が繋がりやすいと知っていたからです。

すると、これまた幸いなことに、一度で電話が繋がり、
母が出ました。

「もう家の中もきれいに片付いたし、怪我もしてないから大丈夫よ!
 水が出ないから、ビール飲んでる!」

この母の言葉を、私は一生忘れることはないでしょう。

両親ともに怪我もなく、
家の中の被害もさほど大きくなかったからこそ
言えたことだったかもしれません。

それでも、水道が止まり、余震が続く中、
不安な状況であっただろうとは思います。

そんな状況でも思わず「クスっ」と笑えることを言える母の
「困難から立ち直る心の力」=「レジリエンス」の高さたるや!

我が親ながら、たいしたものです、本当に。

1月17日は、阪神淡路大震災の日。

私にとっては、母のレジリエンスの高さを思い出し、
「私にもその血が流れている!」と確認する日でもあります。

1月17日が来ると思い出す「母のレジリエンス」” に対して2件のコメントがあります。

  1. 庄司美喜子 より:

    母は強し!困難を困難と思っても立ち上がる。心配してる娘さんを思いやってのお言葉だったかも。うちの母もあまり賢明ではないのですが強いのです。私も母も麦みたいだなと思います。踏まれても踏まれても起き上がる。みたいな。笑
    強い母に感謝ですね。ありがとうございました。

    1. 法貴かおり より:

      コメントありがとうございます。
      「心配している私を思いやっての言葉」という発想は、まったくありませんでした!
      麦みたいな母と娘って、最高ですね!
      私は、自分では「強い」という自覚はありませんが・・・
      「かおりちゃんって、表面上はものすごくヤワヤワで傷つきやすいねんけど、芯はめっちゃ強いよね!」
      と女性の先輩2人に言われたことがあります(苦笑)。
      なんてったって、母の血をひいていますものね!強い母に感謝します。

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